日曜

いきつぎ

今日はまだまだ全然終わっちゃいないけど、なんとなく終わったような気分なのでパソコンをさわる。
家庭教師から帰ってみると、なんだか家全体が湿気というか停滞しているというか、、、と思ったら親がバルサンを焚いて家を出て行ったからでありました。
バルサンの効果があったのだろうか。。。。ゴキは死んでいるように見えなかったんだけど。昨日の夜、必至で孤軍奮闘して、朝起きてから親に「もーなんとかしてー」と頼んだ頃にはほぼ全滅していたのだろうか。

まーそれはそれでいいし、追い打ちがかかったならもっとよい。

そんなこんなで、久しぶりにFC東京の試合を見る。でも、結局鹿島に1点入れられて負け。最後の方は寝てしまったけど。
コンサートから1日たって、バッハ本を読むとこんなことが・・・

モーツアルトは無くなる二年前の1789年に、弟子であり友でもあるカール・リヒノフスキー侯爵とベルリン訪問に出発した。途中二人はライプツィヒに立ち寄り、モーツアルトは聖トマス教会でバッハのオルガンを弾いた。その時のカントルはヨハン・フードリヒ・ドーレスだった。(略)ドーレスはモーツアルトの来訪を喜び、モーツアルトのために聖トマス教会聖歌隊に、バッハの八声のモテット”主に向かって新しい歌を歌え”*1を歌わせている。
その場に居合わせた音楽評論家フリードリヒ・ロホリッツによると、モーツアルトは「これはなんだ?われわれが学ばなければならないのはこれだ!」と叫んだという。
(略)
そのときから、対位法の新たな複雑性と感覚がモーツアルトの作品の多数の中に現れ、フーガとソナタ形式が見事に結合した彼の最高のオペラ”魔笛”、”レクイエム”、交響曲第41番ハ長調”ジュピター”の終楽章といった作品の中にみられるようになった.
(Kupferberg, 基本はバッハ,p151)

なんで、こんなことをかくかというと、昨日聞いたジュピターの4楽章はとってもバッハらしいモーツアルトだったから。フーガそのものというか、まるでこれは音楽の捧げものからぱくったのでは?と思える突如としてのホルンによる主題からの受け継ぎ・・・。(これはトリオソナタ2楽章に出てくる突然の王の主題やフーガの技法と似ていた)

今後の予定
28日(火) 鈴木先生練習(そろそろCMSもしっかりしなくちゃ)
29日(水) 卒論中間発表(つまり28日までには原稿提出、SIS原稿提出)
30日(木) アドセミレポート期限(つまり29日までに仕上げ)

*1:BWV225