ツメ

syuhi2004-10-26

  • Birthday

今日はとても喜ばしい日だった。この日記風にいうとしたら、よろぐわしの日であると言える。*1
だれかの誕生日というのはいつでもイイ日で、それが親しい人となるとより一層。
そんな訳で、誕生日を祝えたことが嬉しい。おめでとう順子。

この日のためにしてきたことはだいたい報われ、カードは手元に届き買い物に行ったときにUFOキャッチャーでとれた手提げカバンもプレゼントの一部となり、プレゼントもきっと喜んでくれたに違いない。*2ちゃんとケータイに貼る前に埃がついてしまったから、もしかしたらそれが気になって「うりゃー」と一世一代のシール剥がしが始まるかもしれない。むしろそれによって空気が入って、「こんなものー」とシール剥がしの欲望が全開になるかもしれない。心配だ。

ちょっと甘めのイタリアのレモンカクテル(あれはワインだったのか、それともウイスキーなのか)も無事のどに入り(訂正:甘すぎて困った)リコーダーはちゃんと吹けて、それで精一杯だったけれど、きっといい日になってくれたに違いない。

  • Imperfect


他人を祝いながらふと自分の至らなさについて思いを巡らす。
今日はゼミの発表だったけれど、もうこれ以上がんばれないだろうというところまでやってみたけれど、結局いまいち考察に甘いところがあると指摘された。具体的には、実験の方法が違うのに単純に比較してどっちがいいという結論を出していいのかな?と言われたということだ。仁士はよく調べている、けれど何をするにも少しツメがあまい、先生はいう。学会で出ている発表でさえも、バイアスが入りその主張を強く強く(他のものを虐げるほど)押していて安直な考えでは見抜けない。CriticalThinkingというのはこういうことをしっかり見極める力、考え方なのだけど「自分はクリティカル」だと考えていた自分が突然大地の支えを失って谷に落とされた。何事にも、それは本当か?と疑ってかかれと言われたではないか。よくよく思い出すと、この手のことで進歩がない。以前にも同じ指摘を受けた。同じ指摘(指導)を受けるとなにか非常に自分が至らないものだという思いがとても強くなる。これは万事がそうで、先生の方針で「他人のレポートを見よう」ということで、自分のレポートと他人のレポートを比べてみると、いい考察がたくさん書いてあるのに自分は最後に妥協して思ったことを文章化できていないとか、そういう自分を発見する。それはもう嫉妬のレベルにはなく、自分への絶望という諦めなのだ。

疑いということを抱かずに受け入れることはとても易しいことだ。頭で考えることなしに、暗記すればいいし、自分の中に取り込むことに専念すればいい。しかし厳しいつもりであっても、易しい道は非常に簡単に通れるためにその道を気がつかないうちに歩んでいることが多い。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこから入って行く者が多い。だから、ルカ伝で伝えられるように力を尽くして狭き門を通らなくてはならない。


足ることを知る、ということが重要だという人がいる。これで十分だと思ってしまう自分は、足ることを知っているわけではなくあきらめをつけてしまった人だ。しかし足ることを知ってしまったら、成長が止まってしまうのではないか?などと結論してみる。でも結局のところ、自分がいかに機転が利かず、妥協的でツメが甘い人間かを思い知ることになってしまう。こんなのが他人の気持ちを分かってあげられるわけもない。

  • Yo no quiero morir (I don't want to die)

本八幡でお世話になったバルセロナカフェのマスターが急死してしまったというニュースが唐突に入って、それまで忘れていた「死」というテーマについて考え込む。台風23号での死者は84人が確認され、まだ依然として行方不明者がでている。新潟地震の被害者も当初の4人よりも増えてきている。新潟はこの時期とても寒いそうで、テントも足りなく水も食料もなく困っている人がたくさんいる。疲労死が出たとか。片づけに負われる人々の生活が目に浮かぶ。壊した家屋の中で寄り添うように死んでいたとか、とても世の中は残酷なところがある。

近所の浅草ビューホテルのラウンジでは暴力団幹部二人が射殺された。人を殺すほど憎むということはどれほどのパワーなのだろう。そもそもそういう感覚さえ、抗争という中では忘れ去られているに違いない。この人たちと、台風や地震で亡くなられた方、カフェのマスターと死に方はそれぞれ違うのだけど、共通なのは唐突な死であるということだ。

いつかは僕も死ぬ日がくるだろう。けれど、まだ死にたくはないし、できることならもう少し自分に出来ることをこの世に証明してからにしたい。

写真解説:たれぱんだのおやすみライト

*1:これはルイスキャロルの「鏡の国のアリス」に出てくるジャヴァウォック物語の一説で、よろぐわしというのは、よろこばしさにある種のかぐわしさを備えているという意味の造語

*2:でも順子はケータイのシールをはがすのが好きだから、気になったらあっという間にはがされてしまうかもしれない