一日目

syuhi2004-10-30


ICU祭一日目。
朝からグランドに行く。
このICU祭で僕はサッカートーナメントのコミッショナーとしてとても大きな失敗を取り繕うためにとても苦労した。
失敗というのは、催行時間をICU祭終了の4時半でなく3時半と記載していたことによる。
よって、本来ならば4時半までトーナメントの予定が入るはずが、3時半までという記載のところをラグビー部につかれ、練習を入れられてしまっていた。

昨日までのいきさつは、だいたいこんなところだ

そのことに気がついたのはICU祭実行委員から「ラグビー部から」
と連絡がほしいということであったということだった。
その時にすぐ「練習はお願いですからやめてください」といえば済んだことだった。
でも、その日のうちに対応しておかなかったことで、その後ずっと家のPCを使わなくなる状況をまねき
結果的に、トラブルになってしまった。
ラグビー部は3時半までにスケジュールを終わらせてくださいと強行に主張。
他のチームの代表に相談したら「ラグビー部に練習をやめさすように」という。
でもそれはもっともっと大きなトラブルになりそうだった。
もうこれは、自分のミスを認めてもいい、全部自分の責任であるからなんとか約束を果たそうと思った。
スケジュールよりも一時間早く終わらすこと、これは一見不可能に見えた。
昨年はぎりぎりであったのだ。どうしようもない不安と自分の対応のまずさでとても、イヤなかんじだ。
すべてのチームに連絡をとり、スケジュールをまく事を伝え試合前に連絡することを約束した。

朝からすべての責任者と顔を合わせて、携帯の連絡先(これは雨でぐちょぐちょになる)を控え、試合のはじまる都度、時間調整。審判も3試合やり、その間に他のいろんなチームのことを心配した。この後のチームは来ているだろうか、スケジュールはしっかり巻けているだろうか。。。
雨はどんどんひどくなり、着替えもかばんもトーナメントの紙も、みんなずぶぬれになる。

午後1時半。
努力は実ってきつつあり、集合は早めになりスケジュールがまったくあてにならない状況で全てのチームは協力的だった。ところが、雨の勢いは増す一方でグランドは池になる。ボールは水たまりで止まる。足首までつかる池もできた。雨に濡れ続け、精神的にもとてもつらくなる。ベスト4がそろった時点で中止にしようと決めた。賞金は4チームでわけようと。

しかし、チームの代表の1人はこの雨でも続けたいといいだす。一度わがままをいいだすと、他のチームの代表もわがままを言い出す。
もうコントロールできなくなっていた。突き放された一言が胸にささる。

「ようは、もう帰りたいんでしょ?」

でも、結局いいだした代表のチームは他のプレーヤがやりたくないと言い出して試合は続行されなかった。

どうしようもない状況だけど、2時からリコーダー賛美があった。これはどうしても出ておきたかったから抜け出して、運営をまかせた。KGKの部屋は半分以上が知らないスタッフであったが、順子や美佳が来てくれて事前の練習もほとんどなかったけどイイ時間をすごせた。3時から、4時からといろいろ歌を歌った。でも歌を歌っている最中に連絡が。

グランド整備がなされていないので、約束をまもってください

グランド整備は、あまりにもすごい雨のためにやることを放棄してしまっていた。けれど、その頃には雨も小雨でラグビー部は練習していた。チームやサッカーの代表に電話してみたけど、試合が終わって何時間かたっているためみんな帰宅していたり、忙しいようであった。半コートのトンボがけを1人で始めながら、きっといつかだれかが手伝いに来てくれるはずだと信じた。池に足を踏み込んで、池のために自分がトンボがけしたところがわからなくなり、なんども同じ場所をかけてしまう。作業は遅々としてすすまない。もともと、1mもないトンボで60mくらいのコートをすべてかけるのだ。「神様、同じ道をかけないように自分の道を教えてください」とつぶやきながらかけていくが、遅いのは当たり前だ。そのうちラグビー部も自分たちの分だけかけて帰ってしまう。日も暮れてきた。このままおわるのか不安がおそう。。。。途中からトンボを二本にして頑張って往復を繰り返す。結局、コート半面をすべて1人でかけおわるころにはとっぷりと日が暮れていた。

雨さえなければ、決勝まで予定より一時間以上早く終わらすこともできた。
でも、その努力は文字通り水泡に帰した。それどころか、いろいろな人の
反対にあい、さらにその後に待っていたのは理不尽な重労働だった。

とりあえずラグビー部にたいして約束は果たしたが、僕はなにか大切なものを失った。
とても言い表せない疲労がおそう。お腹もとても空いていた。