あふ

最近生活が夜型。
夜型。

よく分からない。
自己顕示欲、自分大好き、謙虚ということについてのコメントがあった。リレーコラムのようにちょっとそれを受けて自分も考えてみた。


自分は好き。どのあたりがかというと、フルートとかの楽器が演奏できるし、それでとても満足。それが最終的にはいろんな人に伝わればなおよい。
人と仲良くなれるところ。まったく知らない人でもそれなりの友達になれる。最近行き始めた教会は人数があんまりにも多すぎて上手く話せない。僕がかかわりを持てるマルチメディアの人たちからちょっとずつ仲良くなっていけるかな。話がそれてしまった。

自分大好き人間です、といきなり言われると「なんだこいつ、微妙」と思ってしまう。ところが、これが謙虚さをもっていればいいかというとそうでもない。
謙虚さというのは思いやりと一体というのがまゆこの話だった。自分のことが好きというのはポジティブな人間であると思う。ポジティブに考えられるのはよいことと思う。


自己顕示欲というのと認めてほしいという欲求はどう違うのだろう。
僕は自己顕示欲があると思う。当然のごとく。
それは誰かに認めてほしいと思うことからくるもの。でも、それが「僕はこうなんだけどね」ということにはならない。そもそもそんな深く考えたこともない。なっているのかもしれない。

僕には「僕はこう」というスタンスがあるのか?
僕はバルセロナが好きだー!!という気持ちはある。でもそれが自己顕示欲ではない。


ことりーずサイコー!!

というスタンスはあるかもしれない。自己顕示欲じゃないけれど。


顕示、つまり見せ付けたいってことか。「僕はこんなことして、まわりみながら優越感にひたってますよ」なんてのがそうかもしれない。「僕はこんなことできるよ、すごいでしょ」とか「君はこうだけど、僕はこうだから君もこうして」「ま、僕がちょっとやればすぐできますけど、僕がやる義務ないし」なんてのかなー。


「僕のやってることはこんなにすごいんだ!!」
これはあるかもしれない。卒論でやってることは専門でやってる世界では、はっきりいってたいしたことじゃない。けれど、ほとんど何もしらないところからちょこっとずつ頑張ってきて達成感があるのはちょっとよい。できたらすごい嬉しいし、認めてもらいたいと思う。


結局のところ自分を翻って考えても、何が自己顕示なのか良く分からない。
そんなことを考える余裕もなく、相手から受け取る情報で「不快」「微妙」で片付けてしまっているのか。そうしていると自分はいつか謙虚さも失い相手から「不快」「微妙」と思われてしまうのか。
自己顕示。やっぱり考えたことないアタマで新しいことを考えると、配置の違うキーボードを使うように不慣れなことが多すぎる。