日曜

今日も礼拝。いつも教えてくれるヒューイは、来週ハワイの叔母に会いに行くということでみっちり仕事を叩き込まれた。礼拝の準備というのはそれにしても大変な仕事である。

的確に毎週これを彼がこなしているのかと思うと、本当に頭がさがる思いだ。
教会に行くようになって得たいくつかのことのうちで、彼から学べるということは大きなプラスに働いているように思う。


今日は朝礼拝は僕一人で組み立てた。いくつかケイヤに助けてもらったけれど、ようやく小さな規模での礼拝のセットアップには慣れた。今日はその後、しんたろうさんの聖研に参加していつくつか話を聞く。その後に2時からの本礼拝の準備。


この礼拝はもう大規模なライブであるといってよい。毎週ライブのセッティングをやるようなものだ。モニタースピーカは6つ、メインが2つ、礼拝堂の外へのスピーカーが一つ。一つ一つの楽器の音が会場全体にもミュージシャンにも届かなくてはならない。もちろん牧師とその通訳のワイヤレスマイクも音調整。すべての楽器とマイクの配線を習い、それぞれのスピーカーからの音のバランスが悪ければ逐一修正&微調整。コーラスがピアノのスピーカから聞こえなかったり、モニターからの音が大きすぎたりといろいろと問題がある。いくつもある。

配線が一通り終わって、音のバランスをチェックし終わったらここからがいつもの仕事で録音、録画の準備に入る。メッセージをCDRに焼くのだけど、それのセッティング、ビデオのセッティング、会場の外へのプロジェクターのセッティング。プロジェクターに映像がでなかったり、スピーカーからの音が小さかったりと問題は次々浮上。奔走。奔走。奔走。

いつもはこれに加えて、HDDに映像を録画して、しかもPPTで映し出される歌詞をリアルタイムで画像に導入していた。最近はやらなくなったから、今日はなかったのだけど。(たぶん人手が足りてないせいだろうと思う)

結局、礼拝が始まってから問題を解決するために走り回り、タロの話を真剣に聞く余裕がなかった。朝礼拝も頑張ったせいもあるけれど、おなかが空いて(最近はすぐおなかが減る)すごく疲れてしまった。


礼拝中にプロジェクターの件で走り回っているとイサクさんに呼び止められて、「今度、洗礼どうかな?」と声をかけられる。こっちから日程を聞こうと思っていたけれど、まだ日程は決まっていないという。すでに予定がある11,12、13日ではなければいいのだけど。


真太郎さんの聖研は聖研ではなく、Jillの質問から派生した話だった。最初はJillだけがいたのだけど、僕が加わってそのうちあきおさんや今日初めていらしたとおるさんと、なおみさんが加わった。それは、宗教はなぜキリスト教じゃなくてはならないのか?という質問だった。なかなかクリティカルなところだ。


話の内容は多元主義と排他的であるということはまた別物であるということだった。
キリスト教はつねに話し合いには開かれていて、道はひとつであるということをいっているだけで選ぶのはそれぞれ自身であるということだった。「ここ(ニューホープ東京)に来るのに、正しい道は一つなんだけど、そういかない選択肢もある。たとえば坂の下に降りて行ってしまうとか。」どんな道を選ぶのも自由だけれど、イエスを通すのが神様への道なんだよと言っているだけであってそれを強制しているわけではない。だから、「お前はまちがっている、だめだ、アクマだ」としないのが排他的ではないということだった。

他にもJillの質問から始まったいろいろ話を聞く。
そんな感じだった。ひさしぶりに二時からの礼拝にでてみたが、ほんとに人が多い。若い人もおおい。子供も多い。