生きる


日曜日は洗礼式だった。
本当は今日は別の友達の誕生祝いをやろうと11月頃から計画していたのだけど、急遽延期してもらった。それほど大切なことだった。


昨日がCMSのキックアウトだったからまだ疲れが残っていて、頭がぼーっとしてたけど朝礼拝の準備に向かった。今日はひさしぶりにヒューイがいてくれてミックスを手伝ってくれた。12時から真太郎さんによる受洗者のための準備クラスがあり、そこで今日何をいうのかを練習したり。一緒に洗礼をうけたのはまみえちゃん、りえさん、中村さん、ロジャーだった。この4人は「誕生日が一緒」という感じになるのだ。

礼拝が終わってから、久しぶりに片づけを手伝ったりした。ニューホープは会堂がないから受洗できる場所がない。今回は新大久保から近い、東京中央教会というところに移って洗礼をした。教会からは本当にたくさんの人が駆けつけてきてくれたし、ICUからも順子とまりえちゃんとあやが来てくれた。順子は来ないと思っていたし、あやはくるはずがないと思っていたのでびっくりしたし、よけいに来てくれたことが嬉しかった。


洗礼を受けた後でいろいろ聞かれたけれど一番印象に残ったのはちょうど洗礼をしたところで、来てくれた順子とあやが泣いているところだった。僕の中で「信じよう」と決心した瞬間は意外と前に訪れていたけれど、ニューホープは洗礼式を行うことが最近はなかった*1から「ようやくですかー」みたいな感じであった。僕はこれからも今までどおり神さまを心の中心において生きていくつもりであって、洗礼というのは転機ではあるけれど通過点かなと思う。大事なのはこれからだと思う。


けれど、周りからみたらその象徴的な意味は非常に大きかったに違いない。「古い自分をすてて、新たに生まれ変わる」ということだから。たくさんの人に祝福されたなかで洗礼を受けられたのは本当に本当に幸せなことで、僕のことを覚えてみんなが来てくれたことに本当に感謝。クリスチャンの友達というのは想像以上に深い絆が持てると改めて思うし、同じ神様を見上げながら、お互いを思って祈りあえるということはもう本当に素敵なことだ。世界のどこにいてもきっとまた会えるんだろうって信じられる。


証では言わなかったけれど、神様を通じて人が信じられるようになると思うし同時に自分のことが信じられると思う。大事な友達を信じるということは、非常に簡単に思えるけれど、時に非常に難しいことに変わってしまう。けれど、今は僕はクリスチャンになったわけであり目に見えない神様を信じているというのに、今目の前にいたり自分の生活に大きく関わっている友達のことを信じられないことなんてないと思う。そういう気持ちになれるという事自体が一つの大事な「転機」なんだろう。


今日は想像以上に大事な一日になった。

*1:もちろん理由は他の教会を借りなければできないため