defferent people

僕が生活しているこの空間、環境というのに違和感を感じるときがある。それは違和感というよりも「今いるのってとても恵まれてるのだ」と思うプラスの違和感だ。
まず一つには高田馬場にあるペトラクラブの帰り道によくW大生を見るからだ。ここの人たちは酔いつぶれて吐くし、道で寝ているし、脱ぎだして警官に連行されている。周りの人たちもおもしろがって見ているだけで、寝てる人も吐いてる人も放置で喋りまくっている。はっきりいえば心が痛む。


ICUの友達、そして教会の友達がいかに自分の世界に同調しているかを考えさせられてしまう。自分と違う環境にいたり、違う価値観を持っている人たちを受け入れるというのは大切なことでもあるけれど、あんまりにこれは度が過ぎていると思ったし、いかに自分が恵まれた友達、生活環境にいるかを思い知る。今日行ったフットサルでの友達は「授業行かなくても単位取れるんす、最近学校いってないっす」と平気でいう。「学校行って勉強しないと単位取れない方がよい」などとも言えなかった。


渋谷で山手線に乗ったら満員の電車で、すぐ後ろの二人の女の子がこんな会話をしてるのを聞いてしまった
「〜、彼氏つくらないの?」
「うーん、まぁね・・・」
「なんかあったの?」
「実は、見ちゃったんだよね、ハッパやってるとこ。マリファナっていうの?」
はー、とタメイキがでた。


順子日記にはアルバイトでの人間関係について書いてあるけれど、少なくとも教会でもアルバイトでも大人な人間関係があるから、自然と喜べる環境なのだなと認識。環境と友達はとても大事。はー、それにしても大学生というのは遊びの場なのだろうか。アルバイトしてお酒飲んでつぶれるのが大学生だなんて。社会を知れば知るほど自分のことが「無駄な努力してるのか?」と疑わしくなるかもしれないけど、神様スタンダードていうのは「社会一般」っていうのとちょっと違う気がする。毎週日曜日に教会に行くって言うのは、自分が神様に会うというのもそうだけど、自分の基準と同じ人々に会って安心するという効果もあるのかも。