ライフチェンジ
昨日の夜遅く、12時半くらいにヒューイから電話がきて「明日、ひま?俺行けないんだけど、オペレート頼む」ってことだった。はて、土曜日の午前中になにかやってるというのは知らなかった。どうもライフチェンジセミナーというのがあるらしい。場所はOCC地下一階。
メッセージはタロがして、「赦すことを選ぶ」というタイトルだった。みんな輪になって座った。最初に書いておくけれど、今回のメッセージは僕が聞いたなかで一番最高だったと思う。
「互いに忍び合い、だれかが他の人に不満を抱くことがあっても、互いに許し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい」
コロサイ3:13
2時間くらいの長い話だったけれど、タロ自身の人間関係における苦い思い出、そして「赦すこと」の難しさが彼の実体験を通して伝わってきた。
ポイントを整理してみよう
- 手放すことを学ぶ
忘れた。たぶん、「わだかまる気持ち」を手放すことだろう
- 赦せない心はあなたをも滅ぼす
復讐心を抱いてしまっていないか。その心はあなたを滅ぼしてしまう。赦すということは相手だけでなく、あなた自身のためにもなる
- 苦々しさは苦悩・苦痛をもたらす
コトバ・態度も苦々しくなってしまう。一週間同じ服を着ていると、臭ってくるように*1苦々しい気持ちも持っているとそれが染み出てくるようになる。
- わたしたちは赦すことを命じられている
神様が赦せと言っているのに、自分としては許し難いと葛藤する。難しいね。
みんな、「あるある」と肯いていた
印象的だったコトバは「赦せない時間を決めるのは自分」ということ。もちろんその通り。なかなか赦すというのは難しいけど、「もういいよ」って言うまでの時間は確かに自分が決めることかもしれない。赦せない理由っていうのはやっぱりあって、残念ながらノートに書けなかったのだけど*2、そうそう、そういうことで赦せないんだよねという的を射たポイントだった。あと「赦すときっていうのは、あれはあーでした、これはこうでしたって掘り返すのはやっちゃーだめ」とも。
じゃー赦しって何?ということについて。
- 赦しとは「忘れることではない」
記憶はあるけれど、心に痛みを感じなくなる状態のこと。
リメンバー・パールハーバーを思い出す。
- 赦しとは「神の判断を信じること」
神の判断ってのは赦しのことかな。誰かを許し難い状況になった時に「神様は赦しを求めてる」って信じられるのかな。
- 赦しとは「選択すること」
赦すっていう選択をするんだってこと。信仰も選択なんだよね。「赦しってのは自動的な物ではない」っていうのがじーんと来た。
- 赦しとは「生きる道」
これはちょっと意味が分からない。抽象的すぎてナゾ
結局タロの「許し難い相手」だった人は、十年後(去年)に再び会って彼の方から謝罪してきて、「あなたからたくさんのことを教わりました」と言ってきたらしい。今は別の教会で活動を続けているという。タロはなんとか冷静さを保って、赦したんだと言ってた。心の中ではぶん殴ってやろうと思っていたらしいけど。あのとき許せなくて関係をぶっ壊していたら、今彼がキリストにサービスしていなかったかもしれないと考えると非常によい結果をもたらしたと思うと述懐していた。
すごい!話だけを聞いただけなんだけど、僕の中ではかなりアメイジングな赦しだった。うっそー、そいつは許せないでしょマジ。と叫んでもおかしくない。
最後にもう一つ。つい最近のニュースで「牧師が小学生を暴行*3」っていうのについて、本当に彼がキリストを信じているとするなら、彼が悔い改ることを祈ろうということだった。人でなく、神と御言葉に重きをおいて常にチェックしていないといけないね。アーメン。