母の戦い

物事には道理があり、それが通らない場合は戦わなくてはならない時がある。
僕が家に帰ってくると母が深刻な顔で「ちょっと話してもいい?」と聞いてくる。


もう学校(仕事)をやめようかと思った、と話はじめた母は少し感情が高ぶっているような感じだった。現在は収拾がついているとのことだったが、ことの始まりは授業中に生徒が母の授業に反抗的な態度をとったところから始まった。

黒板に書いているときにボールペンが飛んできたというのである。
振り向いて「だれが投げたの?」と聞いても答えない。席を勝手に替わるなど、どうもクラスがあれている雰囲気。授業後にかみくずがやたら散らかっている。

他の生徒の証言によると、どうもある生徒が母が背中を向けているときに投げていたらしい。その数20個近く。

この時のことをその後廊下にいたその生徒に確認したところ、「誰がちくったんだよ、俺はやってない」と否定されたそうだ。「誰がちくったんだよ」でもう君はお縄にかかるところだが。それでも証拠がないために追求できなかったそうだ。

その学年の先生に話してみたところ「私のところではそんなことは起こっていない、あなたの指導力がないのでは」と指摘されて、ここでひどく怒ったといっている。たまたま母は自転車の鍵を一度家に取りに帰る必要があり、ここで冷静になれたという。

というのも、もし辞めるとしてもその生徒の態度は他の先生と戦ってでも改めさせたいし、学校とはそういう方針でなくてはならないという信念だったんだと思う。


そこで担任に言って道徳の時間にクラスのアンケートをとり、学年主任に話し(この二人は比較的事態を真剣にとらえてくれたようだ)、この件に対して真剣に取り組むことを約束をとりつけた。そこでのアンケートから複数の証言があり「俺はやってない」という言葉のウラをとることができ、その生徒から母に謝罪があった。また母の授業以外でも多くの授業でのその生徒の素行の悪さが明らかになっており、学年としてもその生徒に指導が入ったようだ。


このアンケートの二次的な効果でその生徒によるいじめが表面にでてきており、もう死のうと思っていたという別の生徒の存在が明らかになった。

双方の親の呼び出しがあり、解決に向けて話し合いがもたれたという。


総じて、生徒との関係よりも職場の先生との関係というのが難しい。


こうなってからだと「ことなかれ主義」の象徴のような発言をした先生がいかにも浮かび上がり、一言文句をいってやりたいと思ってしまうというのは誰しも思うことだ。

母がもし何も行動に出ずに生徒のやりたい放題にさせていたら、その学校は規律が乱れたままになっていた。もちろん、そのクラスでは勉強をする雰囲気が形成されず、さらに自殺者まででた可能性まであった。

母のとった行動というのは、自分の授業が乱れているということを同僚に報告するという恥を顧みない突撃であったのだが、幸いにも(かろうじて)その行動を受け止めることのできる人間がいたということだった。正規の教員ならまだしも、講師はこういうことをせずに辞めていく人が多いようだ。または自分の授業が悪かったとしても、それを相談しない、問題としない人が多い。

どの人にも心当たりがあるでしょう、そんな先生。


これはまだ「いじめ自殺」のニュースが始まった頃のことであった。今でこそ、いじめは学校として取り上げられやすいが、その時(たった数週間前なのだが)はまだまだ見過ごされる体質であった。いじめを見過ごす体質っていうのはどこにでもあるんではないかと思う。



問題が解決に向かって良かったということ、そして母の行動は非常に重要な行動だったということ。